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「こういう時、なんて言うんやっけ?
あぁ…八方塞がり?…四面楚歌か…?」
とか考えながら冷静を装いつつも、どうやって飛び出したかも覚えてないけれど
自宅から逃げ出しました。
この時には、”自宅”と呼べるような居場所では無かったけれど。
飛び出したあの日、唯一おぼえているのは、
当時3歳だった娘の寝顔だけ。
後ろ髪を引かれるなんて言葉じゃ形容しきれない、なんとも言えない感情でした。
悔しい。
娘のことは、自ら手放した事を今でも強く深く後悔しています。
それでも、逃げないと僕自身がどうにかなりそうでした。
と言うか、飛び出しても構わないと思ってしまうぐらい、どうにかなってた。
すでに、こうなる事を予想できてたので、数日前から急遽準備してた、借りたてのマンションに逃げました。
その部屋には今まであった家具はもちろん、電気も通ってなくて、相談にのってくれた知人が用意してくれたペラペラの布団しかありませんでした。

この部屋に逃げ込んだ瞬間、解放された安心感と同時に、
手放してしまった娘の顔が忘れられず、朝まで泣きました。
ほんまにゴメン。。。
娘が産まれてからは、美容師も辞め、サラリーマンも続かず、
挙げ句の果てには家を飛び出して、一家の大黒柱と呼べるような事は何もできず、
元妻や義父母に謝ってばっかりの日々になってしまった。
そんな後悔や懺悔をしたところで、仕事はあるし、
今から、これから、今日から、
1人で再出発しなきゃいけない現実と向き合いながら
職場まで自転車を無心で漕ぎ続けました。
その日から、急に飛び出したので、元妻や、義父母、
自分の両親から数えきれないほど電話が鳴りました。
出ても何を話せばいいのかも分からないし、
連れ戻されたとしても同じ事の繰り返しになるだろうと思い、
無視を続けました。
数日後、仕事を終え、工場から出ると、門の前に車が2台停まってました。
元妻と娘と義両親の乗る車と僕の両親が乗る車。
それすらも無視して通り過ぎようとしたところ、降りてきた元妻に無理矢理停められ、
そのまま、強制連行されました。
26歳で人の親ともあろう人間が取るべき行動では無いのは分かってたけど、
とにかく逃げたかった。
向き合いたくなかった。
怒られたくなかった。
そこから、数時間、話し合い、結論としては
別居
となり、その間も生活費の払い込みはすると約束し、
後日、レンタカーを借りて、改めて荷造りした”自分の荷物だけ”を積み、
本格的な別居生活が開始。
娘とは、引っ越しまでの数日、そこで過ごした時間が最後でした。

荷造りをしながら、様子を伺う娘を抱き抱えては泣いてしまう僕。
ゴメンね。
後戻りはできないし、前に進むこともできない。
今はこうする事しかできないパパで本当にゴメンね。
娘はどこか察しの良い所があったので、恐らく異変には気づいていただろうし、もしかするとパパがいなくなる事は気付いていたのかもしれない。
そんな事を今さら想っても、考えても仕方がない。
これ以上、僕と元妻の喧嘩を娘には見せたくない。
いがみ合ってる、怒り合ってる両親の姿をみせたくない一心で、荷物を積み、”元自宅”を後にしました。
後悔しても仕方がないから、今から前に進まなきゃいけない。
その為には、与えられている仕事を、ちゃんとするしかない。
ほんの微かに残った気力で、数年ぶりの一人暮らしをスタートさせました。
寂しさを少しでも紛らわせようと、この頃から読書量が一気に増えました。

読書に耽る事で寂しさも紛れるし、勇気ももらえる。
そして、ある男性が書いた一冊の本と出会い、
その人柄や生き方に感化され、大きく人生が変わり始めました。
続きは次回。
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